2010/11/18

からだの設計にミスはない 写本(p111〜112)

さあ〜早速、写本。

ついでだから、尾籠(びろう)なことを申し上げるが、病院外来で、一番の困りものは、婦人御手洗いでしょう。
殿方は手放しでご用達もなさるまいが、悲しいかな、ご婦人はそうはいかない。よほど、たしなみのよい方でなければ、御腰のむきを調整してからの行動をおとりにならない。その結果が、あの始末というわけである。
ご婦人だけをくさすわけではない。殿方は、ちょっと便利に出来ているだけのことである。どうも、話は終末に来たようだ。
しかし、このような癖も、矯正が全然不可能はないことを私は申し上げたい。それは、骨格は、案外たやすく矯正が出来るものであるからである。

シュミットにも、訪ねて来てくれるなら親しくテクニックのデモンストラシオンをやりましょうと言ってやったのだが。
前にも度々書いたことがあるが、骨格は関節においてズレるのであるから、関節の運動を分析して吟味するのである。そして、最も困難な方向から、最も快適な方向に自力を誘導して、丁度よい位置まで来た時に、外部から軽い抵抗を与えておいた、瞬間的に脱力させるのです。
この原則によって、関節は整復される。これを、全身的に、総合処方することによって、かなりの程度に効果をあげることができる。
患者は正直なもので、骨格が幾分でも自然体に近づければ、即刻に愁訴が軽減する。器質変化の病理学に立ち、生科学的医療にのみ専念している現代では、ノイローゼという名を与え、ずいぶん厄介な愁訴に悩まされている臨床家は多いはずである。
現代医学の盲点を突いて、骨格と生活機能との関連を物理的に、力学的に、科学化する人、特に研究機関を有せられる学者が、現れてくだされてもよい時期だと思う。計測的データを伴わない非科学論のそしりは甘受しますが、このアイデアをつかんでから三十年、私は自分の臨床に、実践応用して、非常なる利便を得ておる。
少なくとも、ウソかホントか試して、科学的に可否を判定して頂きたい。

今日は、ばっちりと、写本のみ!では ごきげんよう!

2010/11/17

からだの設計にミスはない 写本(p110〜111)

来る20日(土)21日(日)、東京操体フォーラムが津田ホールで開催されます。
私は、受付係の仕事と、発表者の名前を墨で書く仕事を任されています。
今日、3時間程かけてやっとある程度納得のいく書ができました。発表する人のイメージを頭に描き、書にしていくのですが、やっぱり楽しいものです。

昨日は、大学のクラスメートの青柳芳夫さんが所属するグループ展があり、そのオープニング・パーテイーに出かけ、二次会にも参加、すっかり酔っぱらってしまいました。そのため、日記は書けませんでした。
申し訳ございません。

それでは、写本。

右重心の人は、右を振り向きにくいのです。
左右半側を別々に動かす時、腰の重心を意識して、交互に移管しながら試みて下さい。なるほどと、合点がゆくはずである。
「左利き右利き」の問題も少なくも、ここまでは、掘り下げてみなければならないと思う。骨格は人生をも左右する。
骨相学(?)上、女性の幸運は、上開の人にあるという。月見は上品、潮干狩りは下品と相場がきまっておる。
昔の人は、随分うがった観察をしているものだ。女性の外性器の付き方で運命判断をしている。これは、骨盤の前後の歪みである。恥骨が下がれば、内蔵も下垂する。勿論、上開ではあり得ない。胃下垂の婦人を診察されたら、どう思われますか。これが自分のフラウでなくてよかった、と思わぬ御仁はありますまい。

<右利きの人は、左重心。現在では、そのことを考慮し、右利きの人は自然体で立つ場合、左足を半歩前に出し、やや内側気味にしたのち、骨盤を正面に向くようポジションを取るようにしています。>
今日は、ここまで!では ごきげんよう。

2010/11/15

からだの設計にミスはない 写本(p108〜110)

冷たい雨が降ってます。
ただこの冷たい雨、京都の冷えに比べれば、どってことないです。
先日、東京にいるつもりで、午前7時頃、夜行バスの終着駅・京都で乗車口を降りた瞬間、冷気がアキレス筋を伝って膝ウラまで上ってきました。
東京の世田谷でいつもこの時間帯は外を歩いています。
だから、比較できるのですが、東京って住みやすいってよ〜〜く分かります。
では 写本。

両上肢を捻じ曲げたり、食事中、茶碗を放り出したりする、舞踏病様運動をする小児の骨格を矯正してやったら、それが
止んだことがあった。

人と対談中、よく膝の上で、手首をまげたり、まわしたり、火鉢の縁をさすったりする人がある。対談中は、あまりやらなくても、時々首をクルクルまわして、ポキポキと首の骨の音を立てたりする人がある。
その人の無意識の感覚が、ある場においてそれを要求するのである。一方においてある制限を加えられている時など、こと更にそのようなことが現れる。
冷静を顔に装うっても、眼や手足がいうことをきかずに動き出すのだ。
ある年ドイツから東洋医学の研究に来たハルベルト・シュミットに贈った一文“The relation between the skeletal structure and life function”の中に、私は、骨格の異常は第一に感覚に変調を来し、次に機能から器質に及ぶと言った。
又、異常骨格を矯正することによって、同じ順序で感覚機能ついには器質の異常、即ち疾病までも正常に復元する。
これが東洋医学の行き方だとも言った。感覚は調整を希望する。異常骨格を復元したいのである。そこで行動が起きる。
窮屈な姿勢から逃避したいのである。
感情と骨格、更に性格と骨格には相関性がある。同様に疾病と骨格にも相関性がある。
ともあれ、ある目的を有する動作は、第一に能率を要求する。
そこで、その人にとって最も能率的な行動を助長するために、癖なる行動が出てくることがある。首をかしげて物を考える、腕を組む、面相を変化する。いろいろあるが、その癖はその人に特有ではあるが、一般にはある傾向をもっている。読者はズボンをはき、靴下をはく時、又は靴をはく時、どちらの脚から始められるか。
気がつかずにやっている日常の動作は、反省してみると、たいてい一方にきまっている。階段の昇降に同側だけしか使えない人は、よほど不正がひどいのであるが、からだの右も左も、融通無碍に使える人などめったにない。後ろから呼び止められて、無意識に振り向く側は、その人に一定しておる。
骨格はイージーゴーイングを建前としている。ある時、藤森速水教授は「右側通行の困難性」について書いておられたが、これも骨格の歪みを考えないと解釈がつかない。

今日はここまで、では ごきげんよう!

2010/11/12

からだの設計にミスはない 写本(p106〜108)

いや〜〜やっと試験は終了致しました。
多分、赤点は無いと思います!!
ただ、凡ミスは相変わらずあるので、予想より点数が上回ることはないでしょう。
一年の時に比べれば、徐々に勉強法を作り上げつつありますが、思いっきり試行錯誤しています。
時間の有効利用という、人生で最も大切なことの一つを学んでいると感じています。
本当にありがたいことです。
解剖学、生理学、経穴それに病理学が、徐々に融合し、関連し始め、学ぶことの面白さを少し感じ始めました。
それにしても、多くの病気は原因不明・・・・からだの歪みを診ようとしない学問にはうんざりします。
今後は、歪みに関しての疫学が必要になるのではないか・・・と真剣に思います。
それでは、久しぶりに写本。

無くて七癖、人誰しも癖のない人はあるまい。よい癖、悪い癖様々、癖は表現の一形態であり、言動に現れる。言は精神的表現、動は動作による肉体表現。

酒に酔えば、精神的制約がゆるんで、陽気になるもの、エロ的になるもの、からんでくるもの、暴れるもの、泣くもの、様々である。
しかし、これが、仮面をはずしたその人の性格の一大部分であろう。氷山の一角は意識上のこと、潜在の大部分は意識下のものである。私たちの行動に現れた癖も、この意識下のことであり、今まで科学化されていない。
覚醒時においても、寝相と同様、無意識のうちに表現されるのが癖であり、癖をみて、その人を評価するのは、あながち、当たらずとは言い得ないものがある。
看護婦を養成する時、よく物に依りかかる子はのびない。ご経験済みのことと思う。
友達の肩に手をかけたり、もたれかかる癖のある子は、依頼心がつよく、独立独行的性格ではない。
私は柔道はやらないが、友人の三段お男が言ったことを思い出す。
講道館の鏡開きの時、さいしゅうの試合に、館長嘉納治五郎先生がスッと立ってススッと道場の真ん中に歩みをすすめて、審判にあたられた。
なんと、それまで八時間、先生は端然として正座しておられたのだそうだ。三十分や一時間足らずの読教の間にも、モジモジしていざ焼香に立てば、つんのめる御仁も少なくないのに、全く先生にはたまげたとのことであった。
前述の癖と嘉納先生の行動とに、かくされた関連を求めれば、骨組みだと私は思う。
前者の骨格に歪みがあり、安全を保つには、自己以外の支えを要求しておるのであり、後者は、自然体に近く、長座しても、圧迫、牽引、捻転などの異常感覚を覚えぬまでの、いわゆる正常骨格の保持者なのである。

今日は、ここまで、では ごきげんよう!
明日から、京都に出張。11月15日から再開します。