2010/09/22

からだの設計にミスはない 写本(柏樹社p58〜59)

天気予報によりますと、夏日は今日まで。
世田谷のど真ん中でも、夜には虫の音が聞こえ、近づく秋を感じています。

スペインからの情報が全く入ってこなくなり、どのような操体フォーラムになったのかわかりませんが、大好評で成功裏に終わっていると、確信しています。
現地時間の9月18日、19日の二日間。
これからは、操体の国際化も堰を切ったように展開してゆくでしょう。

新たな、一歩がこれから始まろうとしています。私も、乗り遅れないように、写本!

        取る取らないはテメエの勝手
でも私はそれでも良かったと思っている。いくら家内とは一心同体だなんて言ったって、確かに生活においてはそうだけども、人間の心を変えることはできないですよ。
「じゃじゃ馬ならし」とか何とかよく言うが、そんなのはノサバった考えだと私は思う。

人を自分の思うようにしようとしたら、ヒットラーやスターリンのようになるしかない。思ったようにするには人を殺さなくちゃできないですよ。
徳をもって化するなんていうのは並たいていのことじゃない。

釈迦だってキリストだって、あれだけの人にしたって、その話を聞いた人がみんな救われているかというと、そうでもない。
それは、一人か二人ぐらいはね、お釈迦様の話が通じたかもしれない。あの蓮華の花を見てニッコリした男のように。
だから元祖の思想というのは後代になかなか伝わらないんだ。みんな宗派にわかれてしまう。

私はよく、この操体を広めるために何か組織を作ったら、と言われるんだが、私はいやだと言うんだ。
あちこちに健康のためにいろんな組織があるけれども、あんなのを作って私を会長にして、というのはおことわりだというんです。作るんなら作ってもかまわん、私のやっていることを広めるんなら、どんどん広めてくれ、だけども私はそれには加わらないよ、というわけです。

私は言うことだけはいう。それをあとで取る、取らないはテメエの勝手だ、というような気持ちだな。誰がどうしようが、何がどうなろうが、自然法則だけは変わらないんだからー。

私には、自分のやったことを残そうなんていう気はないね。
ただ、本当のことはこうなんだよ、と自分で経験したことはみんなに言うけれども、それを取る取らないは勝手なんだ。
私の云々する問題じゃないんです。
みんなそれぞれが、自分のやりたいことをやっていけばいいんだ。それが気持ちのいいことならね。
まあウソがホントがやってみな、ということだ。やってみないで、ケナシてもホメても意味ないよね。
   ー橋本敬三著ー
<橋本先生は、名前なんてどうでも良いんだ、大切なのは真理だ。とよくおっしゃっておられたそうです。
筋ジストロフィーの男の子が操体でよくなっていく様子をNHKが番組にしたとき、初めて「操体」という名前がつきました。
それまでは、名無し。つまり、真理を突き詰めることがたいせつで、名前はどうでもいい。
しかし、公にするにはレッテルは必要・・・・橋本先生の真理・自然の法則に対する謙虚さが、レッテル作りを拒まれたことでしょう。
我々3代目の弟子は、この精神をいつまでも持ち続けなければなりません。>
今日はここまで、では ごきげんよう!

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