2010/07/27

矜持

あついですね。

今日から、少しずつブログを書いていきたいと思います。
先々週、東京操体フォーラムのブログに載せたものを、織り交ぜながら進めたいと思います。


それでは・・・・・

さて、いきなりではありますが、自分探しに当ててみたいと思うのです。

何を今更!

と思われるかも知れませんが、操体の世界に飛び込み10年目。そして、新たに医療専門学校に通い始め、2年目。

それ以前に、20年の芸術活動。

未だに独立出来ず、フラフラ。

一体何してんの・・・自分? 

もう一度自分探しすることで、人生のグランドデザインを産み出すヒントが見つかるかも・・・

と、のっけからギアをトップにいれ突っ走ってみたくなったのです!

まずは、生い立ち以前に遡りましょう。

私が生まれたのは、1954年(昭和29年)。四国愛媛の山奥にある神社の社務所。

まだまだ、戦後の香りが漂う、高度経済成長以前の胎動期。

その頃、もっとも恐怖を感じていたのが、祖父。

この祖父は、私の父・清明の父親。

私の父は、結婚し養子として、野口→佐伯へと姓を変えました。

ですから、普段はこわい祖父と出会うことはないのですが、正月などの祝い事では、どうしても会うことになるのです。

この祖父も神社の神主(川上神社)。

神社の境内ウラに古墳(7世紀中頃の終末期古墳)がありました。

古墳は、道後平野を見渡すことのできる場にあり、その地に、川上神社は、伊予を統括していた河野通久によって移されたと言われています。

応永四年(1396)のことです。

その後、河野氏の衰退は著しく、土佐の長宗我部氏の侵攻の前になすすべ もない状態で、永禄11年(1568年)ついに長宗我部氏に降伏。秀吉により河野氏の所領は没収され、河野通直は安芸国竹原に移り、河野氏は滅亡しました。

河野氏が滅亡後も松山藩主・松平氏の祈願所となり、地域の氏神として今日に至っております。

と書いて、初めて父方の家系を知ったのであります。

とにかく、日本史が大嫌いで常に赤点・・・少年のころは、最も知りたくない分野。

ひとたび知ると、とんでもない世界に入り込み,封じ込められそうな予感。

何となくパンドラの箱だったのです。

しかし、開けてしまいました!!!

さあ前に進みましょう、そこで、思い出してきました。

相変わらず、ノー天気でおバカさん高校生活をエンジョイしている私に、

「野口の家系はのう、代々松山藩主を教えよったんぞ!(ちいとわ、そのこと自覚せい=少し自覚しなさい)」かっこ内は行間。

と、見るに見かねて父親が一度だけ私に喋ったことがあります。しかし、それを言っちゃあ、おしまいです。

そして、それを書いちゃもっとおしまい。

まあ〜そういう訳で、おしまいになりました。

で、前に進めないのですが・・・

まあ〜とにかく・・・サイドブレーキかけながらでも、前に突っ走る!

父親の家系には、400年以上神社を守り続けているという矜持が存在していました。これは、一種独特のものです。

どうやら幼いなりに私はそれを感じ取っていたようです。

その矜持が漂う祖父に、幼い私はとても怖くて近づくことが出来なかったのです。

何しろ、白装束に白髪、胸元まで伸びる顎髭も真っ白。

そして、めがね越しの眼光の鋭さ。

私は、物陰にかくれて、祖父に会わないようにしていました。

あの時の感覚は今でも生々しく私のからだの中に染みこんでいます。

祖父は、愛媛新聞の編集長をしており、歯に衣着せぬ性格の持ち主。ある時、社内で起こった良からぬ事を摘発し紙面に記載。

もちろん首(くび)となり、その後は、地元に帰り郵便局長として仕事を全うしたそうです。

400年継承したサムライ魂。

当時、このような魂をもった人々は数多くいたと思います。

思い返してみると・・・・・いました(すみません、身内です)。

末っ子である私の父親が最も尊敬し、怖がっていた長男の晃(あきら)叔父さん!

この叔父さんが祖父の血を一番濃く引き継いだ人物だと思います。

私の父親が一つ上の兄とけんかをし、父親が馬乗りになって、「ボカスカ、ボカスカ」。

もちろん、子供の頃です。

それを見ていた晃(あきら)叔父さんは、木刀で父親の頭を一撃。

父親は、あわれにも失神。

意識が戻ってきた父親と、兄を神棚の前に連れて行った晃(あきら)叔父さん。

「清明(私の父親)、すまん。」

と、正座したまま、短刀を抜き出して,自らの左前腕部を斬りつけたのです。

幸い、橈骨で短刀はとどまった為、動脈が切れるだけの重傷で済んだそうです。本人は本気で腕を切るつもりだったのだろうと思います。

そんな晃叔父さんは、戦争に行っても部下を守るため、平気で上司を殴りました。晃叔父さんのお通夜の時、その部下の方が、しみじみと涙ながらに話して下さいました。

叔父の数々の武勇伝は、私が幼い頃から聞かされており、私にとってヒーロー。

私は、とてもこのような事はできませんが、祖父や叔父と同じ血が流れていることの矜持。

これを忘れては、いけません。

戦後、アメリカン・ポチ化して気がついてみると、家はツーバイフォーのアメリカ式建築、キンコーズ、マクドナルドが、一等地を買収。

私の通う四ッ谷の一等地などは、アメリカの宗教団体に押さえられています。

子供の体型もアメリカン様肥満が目立ち始めています。

このままでは、1万5000年前から続く縄文文化を基礎とする日本文化がわずか半世紀で、アメリカンウィルスにやられてしまいます。

とは言え、私一人で何が出来る?

出来ることはあります!

日本思想の源流・相似象を研究された医師・橋本敬三先生が、体系化なさり、三浦寛先生が確立されておられる操体。

この至宝とも言える操体の継承であります。

矜持を持って、日本刀で腕を切る気概でやることであります。

ここまで書いて自分探しが出来ている自分に気がつきました!

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