2010/12/28

からだの設計にミスはない 写本(p123〜124)

師走・・・という名にかまけてしまい、日記を書いていませんでした。反省します。
故郷の愛媛では、積雪10センチの雪。我が家のある京都・美山では50センチくらいの積雪はあるでしょう。
今年は、もしかして150センチ以上の積雪になるかもしれません。
それに比べると、東京の眩しいくらいの青空は・・・申し訳ない気がします。
東北地方の方々が上京したがるのもの、致し方ないと、ついつい思ってしまいます。
それでは、写本。
腹式深呼吸の練習法に上体を真直ぐに保つことの必要は前述の通りであるが、息の出し入れの練習は床に入って寝ながらでも出来る。まず下腹を出来るだけ凹ませて体内(息は肺にあるのだが、肺を意識しない方がいい)の息を充分呼きだす。次に力をぬくと独りでに下腹がふくれてくるから、これをそのまま続けて、まず、腹に息を充たすつもりになる。次に上腹から下肺に息を入れる。
更に胸を両側に拡げるつもりで息を吸ってゆく。無理に肩や鎖骨を引き上げるように吸わなくてもよい。充分息が入ったらフッと一息呼く。
その時肩の力をぬくつもりになり、下腹にパッと力が入るようにしておいてから、そのまま出来るだけ静かに下腹から息をぬいて、だんだんに
上の方までぬくようにすればよい。
これを繰り返す。
一歩進んでからの練習は心搏四つで息を吸い、前述のように一息ぬいて十六搏間下腹に力を入れたまま息を最微少に呼き、そして八搏間に腹から息をぬく。心搏数は初めからそのようには出来まいが、だんだんそれに近づけていくようにすればよい。立位又は座位でも同様であるが、姿勢を正して正座してやれば座禅と同じことである。
あまり力みすぎないように静かにやることがコツである。少なくとも七八回やればからだが温かくなり、少し汗ばんでくる。
毎日やることが大切である。数を数えていると、他のことを
考える余裕がないから、精神の放下にもなる。
呼吸のコントロールは健康には是非とも必要なことである。歌をうたったり尺八を吹いたり、お経やお題目をとなえたりすることは皆この呼吸法に相通ずる。のっぺらぼうのとなえないで南無、妙、法、蓮、華、経とやると、ハッハッハと笑った時と同じように下腹に力が入り、うまく出来ているなあと感心させられる。
要は、息の呼き方である。吸う息は深く、呼く息は長く静かに。たしかに身心がくつろいでくる。生体と運動と呼吸と精神の相関の原則には間違いない。各位の体験を希望します。


今日は、ここまで、では ごきげんよう!

2010/12/16

からだの設計にミスはない 写本(p121〜122)

早速、写本をいたします。

運動系の能率の項で重心の在り方をのべたことがあるが、呼吸も一つのうんどうであるから他のからだの運動と同一の
理屈がとおるのであり、からだの中心に重心をおくように呼吸をするのが理想であることになる。そのためにはまず重心を中心に安定する姿勢が問題になってくる。各種の体位ごとにそのコツがある。人は活動する時は立位をとることが大部分であるから、まず腰を安定させなければならない。左右の足に平等に体重をかけ、仙骨を第五腰椎の所で正しい前弯をとり、脊柱を正ししてその上に頭部が正しく乗るように姿勢をたださなければ充分なよい呼吸はできない。この正しい姿勢をとることをまず心がけて呼吸の訓練をしなければならない。姿勢が正しくなければ武芸共に充分な域に達することは出来ない。座禅でもこの姿勢がやかましくいわれるのは当然であって、これが可能になって呼吸も思うように出来ることとなる。
腰を反らすのでも腰椎全体が反ってはいけない。一番下の所で反るようにすべきである。大半の人は反るより屈している人が多い。座位の時は特にこれが顕著である。こうなると顎が前に出てきて脊柱は正しい素直さが失われてくる。悪い姿勢は骨格の歪みであるから、この構造の中に固定保護されている内臓や中枢神経が正位を失ってきて、その機能が阻害されてくることになり、自然な生活機能即ち健康が保ちにくくなるのは当然のことである。
腰が後彎している人が練習する時、座位では座布団を一枚尻の下にしいて補助してやるとやりやすい。
<医学用語の前彎・後彎を、操体では後彎曲・前彎曲という言葉に置き換えて使用しています。つまり、前彎=後彎曲、後彎=前彎曲として使用していますが、この橋本先生の文章を読むかぎり、前彎=前彎曲、後彎=後彎曲ととらえたほうが良いように思えます。これは、もう一度考え直してもよい課題のようにも思えます。>
今日はこれまで、 ではごきげんよう!

2010/12/14

からだの設計にミスはない 写本(p120〜121)

師走ともなると、回りは忙しいようですが、マイペースでやっていきたいと思います。では、写本。

交感神経が興奮すればハッスルしてくる。血中のアドレナリンが増して血圧は上昇し、体表面の毛細血管は収縮し、皮膚は蒼白となり、はげしければ鳥肌となり、髪の毛は逆立ち、目はつり上がってくる。まさに闘争準備態勢に入る。武者震いさえ起きる。
しかし、気分はイライラしてくる。落ち着きがなくなってくる。けれども、その反対に副交感神経の方の興奮がそれより強ければ、自律神経は互いに拮抗作用が行われるのであるから、気分を落ち着けさせることが出来る。
困難が目前に迫れば誰でも交感神経は興奮して対応準備が出来るよう自然は仕組んであるのだけれども、過ぎたるは及ばざるが如しで、度をこすと身心が固くなって臨機応変が出来ないようになる。困難に際し、又は怒りがこみ上げてきた時、唖々大笑出来る人は達人だといわれているが、この時のメカニズムを考えてみると、ハッハッハと大声に笑えば呼吸はどうなるか。下腹にパッパッパと力が入り腹圧がたかまる。
交感神経の過剰興奮は抑制されることになる。
心が落ち着けば物事を正当に判断出来るから、急速な変化にもそれに応じて対処出来るわけであり、そのような人は達人ということになる。
何もおかしくて笑わなくても、このように呼吸をすることが合目的なわけである。宮本武蔵は試合をするときはいつも対手を待たせてイライラさせて交感神経を興奮させる手段をとった。このように呼吸の仕方によって身心の変化するわけを知ったなら呼吸法を研究する気になるであろう。
事実これは大影響がある。運動する時になるべく吸気は
速く必要なだけ吸い込んでゆっくり呼けばその間に能率をあげることが出来る。
胸元でセカセカする呼吸は頂けないやり方であり、ゆっくり下腹に力を入れて手や肩や首の力をぬいた呼気は安定性を保ち、身心に好影響を及ぼす。しかし、これは一朝にして出来るものではないから習練を要するのであり、これが調息法の訓練なのであり、心がければ常時訓練を積むことが出来る。
長生きする人は長息出来る人である。
<来年の4月に東京操体フォーラム分科会が開催されますが、この時の私のテーマが、息であります。これは、非常に奥が深いものですので、からだを通し、しかも勉強を積み上げた上で仕上げたいと思っています。>
今日は、ここまで、では ごきげんよう!

2010/12/13

からだの設計にミスはない 写本(p118〜112)

昨日は、操体の勉強会が終わり、友人と飲んでしまいました。
楽しいお酒で、ついうっかり日記を書くこと忘れてしまいました。
というところで、早速、小指に関しての写本に入ります。

ある相撲の話に、下駄や草履をはいて育たない二世は、相撲には駄目だとのことであった。
からだの重心の高い西洋人は、腰をおとすことの得意な日本人よりは倒され易い。
全体の重心の在り方が問題となる。
私は骨格を基盤とする人身の力学的な診療と治療とを提唱しているものであるが、からだの重心の在り方と全体の運動能率との関連性をどなたかに開拓して頂きたい。
スポーツ界にも医療界にも、エポックを期待出来ると、私は思うのです。

調息法
前にちょっと呼吸に触れた。運動中の呼吸の要領に関してであった。呼吸によって生体に必須の酸素の栄養を摂取するのであるから、好ましき環境の清浄な空気を深呼吸することは最高の価値であることはわかっているが、呼吸の仕方に
よって生体に及ぼす影響というものが左右されることを知る必要がある。調息法が古来研究されたのはそのためである。
腹圧を高める腹式呼吸をすると副交感神経が刺激されるようである。
胸式でやると交感神経が興奮してくる。迷走神経(副交感神経)を刺激すると心搏が緩徐になってくることは誰でも知っている。深呼吸しながら心搏を測れば、吸気の時よりも呼気の時の方がおそくなる。呼く時はどうしても腹の方に多くの力が入る。これを最大限に利用して腹圧をたかめるように深呼吸すればよいことになる。
<現在、呼吸法は臨床においても、日常においても大切な営みとして、様々な方法を試みています。我が師・三浦寛先生の新刊・皮膚からのメッセージ(たにぐち書店)に丹田の気を養う方法として、様々な呼吸法を紹介しています。この新刊本は、これからの新たな治療法、生き方を提言しています。
私のお薦めの本です。>
きょうはここまで、では ごきげんよう!

2010/12/10

からだの設計にミスはない 写本(p117〜118)

早速、写本に入りましょう。

書道のことが書いてあった。子供の頃、字を書く時は、肘を張って、腕に力を入れて書くのだと教えられたこともあったが、どうも腑に落ちないでいた。
ある時、当時の満州国皇帝が字を書いている写真を見たことがある。そして私は唸った。椅子に端座して、筆と示指を正中線に立てて、小指と示指の尖端を、筆管を底辺とする三角形の両辺の如く伸ばして、拇指と他の指はその中間を支えている姿であった。そして、その書は、私には頗る美事に観ぜられたのである。
上肢はかくの如く、小指に重点を指向すれば、上肢全体は、からだの正中に近く集約される。手先も全体に統一せられて、その動作は全身一致の妙を発揮する。
しかし、下肢に於いてはその反対である。
足裏にかかる全身の重力は、平均であるが、動作時の重点は外側にあってはいけない。足の外側に重心が偏れば膝が開いて倒れやすくなる。足幅よりも膝幅を開いた相撲の仕切りなどおかしい。そのためには拇趾に力が入る必要がある。動作の秘訣は、手は小指に、足は拇趾に力が入る必要がある。動作の秘訣は、手は小指に、足では拇趾に力を入れるようにすることである。

<前々回の東京操体フォーラムで、南画の大家・田中稲翠先生が、講演をされました。その時、書を書いていてくださいました。その筆の持ち方が、満州国皇帝のものと同じです。
やはり、あの持ち方からからだ全体が流れるような動きになっていました。美事な動きでした。
また、仕切りに関してですが、あれは、腰を落とし、相手の圧力を受け取る為の所作でもあると思います。ですから、私はあの仕切りは正しいと思います。>
きょうは、ここまで、では ごきげんよう!