2010/11/15

からだの設計にミスはない 写本(p108〜110)

冷たい雨が降ってます。
ただこの冷たい雨、京都の冷えに比べれば、どってことないです。
先日、東京にいるつもりで、午前7時頃、夜行バスの終着駅・京都で乗車口を降りた瞬間、冷気がアキレス筋を伝って膝ウラまで上ってきました。
東京の世田谷でいつもこの時間帯は外を歩いています。
だから、比較できるのですが、東京って住みやすいってよ〜〜く分かります。
では 写本。

両上肢を捻じ曲げたり、食事中、茶碗を放り出したりする、舞踏病様運動をする小児の骨格を矯正してやったら、それが
止んだことがあった。

人と対談中、よく膝の上で、手首をまげたり、まわしたり、火鉢の縁をさすったりする人がある。対談中は、あまりやらなくても、時々首をクルクルまわして、ポキポキと首の骨の音を立てたりする人がある。
その人の無意識の感覚が、ある場においてそれを要求するのである。一方においてある制限を加えられている時など、こと更にそのようなことが現れる。
冷静を顔に装うっても、眼や手足がいうことをきかずに動き出すのだ。
ある年ドイツから東洋医学の研究に来たハルベルト・シュミットに贈った一文“The relation between the skeletal structure and life function”の中に、私は、骨格の異常は第一に感覚に変調を来し、次に機能から器質に及ぶと言った。
又、異常骨格を矯正することによって、同じ順序で感覚機能ついには器質の異常、即ち疾病までも正常に復元する。
これが東洋医学の行き方だとも言った。感覚は調整を希望する。異常骨格を復元したいのである。そこで行動が起きる。
窮屈な姿勢から逃避したいのである。
感情と骨格、更に性格と骨格には相関性がある。同様に疾病と骨格にも相関性がある。
ともあれ、ある目的を有する動作は、第一に能率を要求する。
そこで、その人にとって最も能率的な行動を助長するために、癖なる行動が出てくることがある。首をかしげて物を考える、腕を組む、面相を変化する。いろいろあるが、その癖はその人に特有ではあるが、一般にはある傾向をもっている。読者はズボンをはき、靴下をはく時、又は靴をはく時、どちらの脚から始められるか。
気がつかずにやっている日常の動作は、反省してみると、たいてい一方にきまっている。階段の昇降に同側だけしか使えない人は、よほど不正がひどいのであるが、からだの右も左も、融通無碍に使える人などめったにない。後ろから呼び止められて、無意識に振り向く側は、その人に一定しておる。
骨格はイージーゴーイングを建前としている。ある時、藤森速水教授は「右側通行の困難性」について書いておられたが、これも骨格の歪みを考えないと解釈がつかない。

今日はここまで、では ごきげんよう!

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