2010/11/12

からだの設計にミスはない 写本(p106〜108)

いや〜〜やっと試験は終了致しました。
多分、赤点は無いと思います!!
ただ、凡ミスは相変わらずあるので、予想より点数が上回ることはないでしょう。
一年の時に比べれば、徐々に勉強法を作り上げつつありますが、思いっきり試行錯誤しています。
時間の有効利用という、人生で最も大切なことの一つを学んでいると感じています。
本当にありがたいことです。
解剖学、生理学、経穴それに病理学が、徐々に融合し、関連し始め、学ぶことの面白さを少し感じ始めました。
それにしても、多くの病気は原因不明・・・・からだの歪みを診ようとしない学問にはうんざりします。
今後は、歪みに関しての疫学が必要になるのではないか・・・と真剣に思います。
それでは、久しぶりに写本。

無くて七癖、人誰しも癖のない人はあるまい。よい癖、悪い癖様々、癖は表現の一形態であり、言動に現れる。言は精神的表現、動は動作による肉体表現。

酒に酔えば、精神的制約がゆるんで、陽気になるもの、エロ的になるもの、からんでくるもの、暴れるもの、泣くもの、様々である。
しかし、これが、仮面をはずしたその人の性格の一大部分であろう。氷山の一角は意識上のこと、潜在の大部分は意識下のものである。私たちの行動に現れた癖も、この意識下のことであり、今まで科学化されていない。
覚醒時においても、寝相と同様、無意識のうちに表現されるのが癖であり、癖をみて、その人を評価するのは、あながち、当たらずとは言い得ないものがある。
看護婦を養成する時、よく物に依りかかる子はのびない。ご経験済みのことと思う。
友達の肩に手をかけたり、もたれかかる癖のある子は、依頼心がつよく、独立独行的性格ではない。
私は柔道はやらないが、友人の三段お男が言ったことを思い出す。
講道館の鏡開きの時、さいしゅうの試合に、館長嘉納治五郎先生がスッと立ってススッと道場の真ん中に歩みをすすめて、審判にあたられた。
なんと、それまで八時間、先生は端然として正座しておられたのだそうだ。三十分や一時間足らずの読教の間にも、モジモジしていざ焼香に立てば、つんのめる御仁も少なくないのに、全く先生にはたまげたとのことであった。
前述の癖と嘉納先生の行動とに、かくされた関連を求めれば、骨組みだと私は思う。
前者の骨格に歪みがあり、安全を保つには、自己以外の支えを要求しておるのであり、後者は、自然体に近く、長座しても、圧迫、牽引、捻転などの異常感覚を覚えぬまでの、いわゆる正常骨格の保持者なのである。

今日は、ここまで、では ごきげんよう!
明日から、京都に出張。11月15日から再開します。

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