2010/08/11

からだの設計にミスはない 写本(p29)

きょうは机の廻りを無にし、整理できました。ありがとうございます。

原始感覚(昨日からの続き)

からだの中の変化に素直に反応する感覚、この感覚こそもっとも大事にしなければならないもので、いつでもそれを高めようという意欲をもって、鍛錬し磨き上げていくような心構えを私たちは常に忘れてはならないし、知識や文化もいいけれども、その知識や文化に誤りがあれば、それをこの原始感覚で見分けられるようでなければならないと思う。

<この一節は、さらりと書かれてありますが、実に奥深いと思います。
“いつでもそれを高めようという意欲をもって、鍛錬し磨き上げていくような心構えを私たちは常に忘れてはならない”とあります。
これは、からだとの対話を通して真理を感じ取ることを意味します。
この2週間ほど、私はフィットネスクラブに通い始めました。1年半ほど前の私からは、考えられないことです。
何しろ、京都の山奥で、一人暮らしのおばあさんが多く住んでいる集落にいたのですから・・・・
洗面所に鏡はありましたが、余り自分の顔、姿をゆっくり眺めるようなことはしませんでした。
どちらかというと、自然の変化に目が行き、私自身は自然の一部として同化している感覚でした。そのため、他人との会話を全くしない日もあったほどです。
また、この感覚は快適でした。

ところが、東京のど真ん中・世田谷に住むようになり、心もからだも少しずつ変化していったようです。世田谷は緑の木々が多いのですが、それでも、コンクリート、アスファルトに覆われています。そして、人々が溢れています。

このようなところでは、人々が自然。もっというと人のからだが自然。どうしても、からだに目が行ってしまいます。
街を歩けば、ガラスに映る自分のからだがやはり気になります。

そんな状況下でのフィットネスクラブ。
大きな鏡を前に自分のからだとゆっくり対話していきます。多くの人々が黙々とからだを動かしているなかでの、自分のからだとの対話は、楽しいものです。

そして、記録していた数値が徐々に上がっていき、からだが元気になっていくのが分かる、という感覚が非常に大切。
しかも、インストラクターの2日程、筋肉を休ませる事が大切であるという助言(これは、橋本先生の文章では、“知識”にあたります)を、しっかり守った結果、大幅に数値が上がりました。

この体験から、からだには宇宙の大法則が存在していると感じられるようになりました。
フィットネスクラブでのからだとの対話は、持って生まれた原始感覚を徐々に鍛えられる一つの方法だと思っています。>

今日は、ここまで。それでは ごきげんよう!

0 件のコメント:

コメントを投稿