2010/08/16

からだの設計にミスはない 写本(p41〜46)


“救い”までを写本することが、できましたありがとうございます。
昨日は、ラストサムライと呼ばれておられる島津健治先生の火縄銃演舞を見てきました。古武道の全国大会でトリを演じられ、マイクで火縄銃の説明をとうとうとされるそのお姿は、まさしくラストサムライ。
この先生は、古来から伝わる武士の医術の伝道者。
すごい技術をお持ちです。
我々は学ばねばならない事が山積みなんです!

今日の写本は少し長め。
橋本先生の若き日の苦悩の末、“救い”と“報い”の違いをつかみ取った、言わば橋本哲学の根底を描いた箇所です。
今日は、その中の“救い”について写本いたします。

    “救い”と“報い”

人間の設計にミスはない、と私はしんじているが、これは又、私たちはもともと救われているんだ、初めから救われているんだ、ということでもあります。

宗教家の中にはね、がんばれ、がんばれ、そうして悟ればお前は救われるんだと、あたかもがんばらなければ救われないかのように言う人がいるが、そんなことはないんですよ。

悪人であろうが、怠け者であろうが、みな救われているんです。それでなきゃ、私なんぞは浮かばれない。
私はだから、いつも患者さんに言うんだ。
「もともと救われているんだから、安心してやりなさいよ」とね。
そして同時に
「いやなら無理しなくてやらなくてもいいよ」と言う。
「そのかわり、ひどい目にあっても知らないよ」と。
少々強迫じみて聞こえもしようが、こういうことを、私は若い頃から常に自分に言い聞かせ、自分自身に問いかけながら、今まで生きてきたのです。

私は中学時代を会津の伯父の家に厄介になってすごしたが、中学の後半の頃から猛烈な自己嫌悪と劣等感に悩まされた。
四年生の時だったか、弁論大会で「飢え渇く」という演題で一等になり、その時の賞品の硯函が今の手元に残っていて結構役だっているが、その演題の如く、私はその頃、苦悩の底で喘いでいたんです。

ある日、教会で山室軍平先生の講演会があり、友だちに誘われて聴講した。先生の最も得意な十八番「神は愛なり」という説教でありました。万有を創造し、生命を発現して、われら人類を生んだ神の愛というものは、無我の親心の慈愛そのものである、という理を、年老いて捨てられにゆく老母が、背中の上から息子の帰路の道しるべに木の枝を折って来たという、楢山節考のような話を引いて、この親心こそ神の愛なのだ、生命の生みの親を忘れた人々よ、忘れられても忘れぬ親の愛を覚えて神に立ち帰れ、というような趣旨の話でした。
先生の名調子にすっかり感激させられて、聴いているうちに涙がとめどもなく流れたのをおぼえております。

傍らで大嫌いな数学の教師が冷たい視線を眼鏡の下から注いでいるのを意識しながらも、「神の愛を信じる人は、手を挙げてください」と言われた時、私はどうしても挙げないではおれませんでした。
そのくせ、終わってから「手を挙げた人は残ってください」と言われた時には、草履をつかんで一目散に逃げて帰ったものです。

それでも妙なもので、このことが縁になって、いつの間にか救世軍に出入りするようになりました。
高校受験の浪人時代に、大きなラッパを吹きながら辻説法に従った、仙台芭蕉の辻の夜のことを想い出します。

その頃の苦悩は深刻で飯も喉につかえて通らぬ日がたびたびありました。自己批判やら及第の不安やら、恋愛のことやらが、二重にも三重にもなって私を責め立て、宗教などどは無関係に平気でやりたいことをやっている人たちが羨ましかった。

当時の私にはすごく潔癖なところがあってね、特に「性」の問題は深刻だった。女を見て色情をおこす者は、すでに姦淫したことになる、なんて調子に責め立てられると、こっとはもう立つ瀬がない。
とにかく何としても“潔めの神理”、救世軍には“潔めの神理”というのがあって、それがわかれば罪を犯さないですむというので、私はもうガムシャラに、それをつかもうとあがいたものでした。

そんな苦悩は今でこそ笑ってこそすまされもしようが、その頃の私としては必死だったんです。それだけ若くて純粋だったのでしょうか。

祈っていてね、時には「ああ、わかった」と感じたこともあったし、パアーと水が溢れ出してきたような奇妙な体験もあったけれども、どうしてもそれが長続きしない。どうしても腹の底からわかったような気がしない。

自分が罪悪深重の凡夫であることはよくわかる。神の愛もわかる。キリストの贖罪もわかる。しかし私は、キリストを救主と信ずることによって、いったん赦されても、又ぞろ繰り返し罪を犯すことから脱け出せない。
懺悔しても悔いあらためても悔いあらためてもすぐ罪を犯す。
この生身の体をもち、五官の貪欲な本能がそれぞれ頭をもたげてくると、どうしてもこれを制し切れないで、ついつい悪いとは知りながら負けてしまう。

こうなってくると、せっかくのキリストの贖罪も利益も屁にもならない。死ぬ時うまく信仰状態にあれば天国行きも可能かもしれないが、ちょうど罪を犯しつつクタバッたらそれこそ最後だ、天国行きはオジャンである。

何とか罪を犯さぬような救いをうけることは出来ないものか。
こうなりゃ誠に申し訳ない限りだが、神を呪って死んでも救われる道はないものか、などとヤケッパチな気分にもなったものでした。
こうして私は、行きつ戻りつ五年間苦しみ続けました。

私が盛岡の牧師、平野栄太郎先生にめぐりあったのは、もう医学生時代も後半に近い二十三才の時でした。
全くの無名の人でしたが、大きな皮表紙の聖書を二冊もボロボロになるまで読みつぶしたという平野牧師から、私はエペソ書の第一章を示されて、「ここにこう書いてあるじゃないか」と次の聖句を教えられたのです。

『世の創(はじめ)の前より我等をキリストのウチに選び、御意(みこころ)のままにイエス・キリストに由(よ)り愛をもて己が子となさんことを定め給へり』

私はこの時、「ああ、そうか、そうだったのか」と素直にうなずけた。なあんだ、今までがんばれ、がんばれと言われてがんばってきたけれども、別にがんばることもなかったんだな、俺はもう初めから救われていたんじゃないか。

俺のこの生命は、俺が生まれる前からもうあったんだな。だとしたらこの生命は神と同格の永遠の生命そのものじゃないか。何もこんな罪を犯したの犯さないのとジタバタするようなことなんかないじゃないか、と。

—その時のうれしさ、喜ばしさっていうのは、とても私には表現できないね。
自分が救われたいなんて望む必要はさらさらないんだ。
自分が何をしようが、そんなことは問題じゃない、これほどラクなことはないじゃないか、と。
そして、私はこの“救い”ということが、自分の行為や思わくとは何の関係もない、ということを知ると同時に“報い”ということをも平野先生から教えられた。

<5年間も悩み続けられたという誠実さ。本当に頭が下がります。
私には、これほどの誠実さがあるのか・・・医療家として、持たなければなりません。
そして、救われていることに感謝し、その愛を感じることが大切だと思います。
まだまだ私は橋本先生が23才のころの境地には達しません。
出来る限りの努力は、この写本であろうと思います。260ページありますので、数ヶ月かかりますが、がんばらず・・・
やくばらず・・・いばらず・・・しばらず・・・やりたいと思います。>

今日は、ここまで、それでは ごきげんよう!

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