2010/08/12

からだの設計にミスはない 写本(p30〜32)

今日は、レポート作成が出来ました、ありがとうございます。
昨日は、余り写本をしていないので、今回は、写本をしっかりします。

原始感覚

人間のからだのバランスをとる中枢は脳髄にあるが、ここでからだ全体から伝えられてくる情報を受けて選択するのがこの感覚です。
からだのバランスがとれていれば、情報もスムーズに流れていて、こんな時は快調で非常に気持ちのいい状態なのだが、情報が何処かでつっかえたり、詰まったり、氾濫したりすると、からだに異常が感ぜられ、気持ちが悪くなる。
情報の通り道にそういう障害物が出来ると、すぐにからだの歪みとなって表にあらわれてくる。

またこの原始感覚が、伝わってきた情報を選択して、からだの動くべき方向を指示しているのに、「いや、そいつはダメだ」と、自分の意識や知識でもって拒絶すれば、やはりからだの何処かがおかしくなってくる。狂ってくる。

人間はこの感覚に素直に従っていれば、その心身の可能性を最高度に発揮することができるのに、ただ意識過剰のために、この感覚の働きが抑えられ、くらまされているのです。

だから、かえって無意識の時が一番バランスがとれている。
無意識の時は、この感覚が少しも邪魔されずにスムーズに働くからです。
その証拠に、ヨッパライはどんなにころんでも、たとえ階段から落っこちても、大きなケガはしない。
また、子供は無意識な動きさえすれば治るから、くすぐってやれば、すぐにからだの歪みがとれる。

くどいようだが、私の言う治療とは、あくまでも歪みを正体に、自然体に戻すことです。
戻すことさえできれば、その方法は何だっていいと思う。ただ、私が今まで長年模索し経験したうちでは、この原始感覚に従って気持ちよく動きさえすれば、“元の正体に戻る”という方法が一番いいと言うのです。

そして、もう一つ言わせてもらえば、今までの治療はみんな他力だ。確かに効いたという事実はあるけれども、結果的に効いたというにすぎない。

他力だとね、どうしてもコースが決まってくる。人間のからだは微妙だから、そのコースにうまくはまればいいが、はずれないという保障はない。
ところが、この治療法は他力ではなく、あくまでも自分で出来る。自分の原始感覚を頼りにして、痛くない方へ、一番気持ちのいい方へ動くんだから、よほどのことでない限り間違うことはない。
これほど簡単で、しかも確かな手応えのある療法はほかにはありません。
ほんとうにもうけものっていう気がしてならないのですがね。

とにかく生物が動くのは欲しいものを追いかけるか危ないものから逃げるかです。
気持ち悪かったら、そこから逃げて安全な方にゆけばいいし、あるいは痛いところ気分の悪いところを押さえてもらっていて、それが消えるように逃げればいい。
それには運動を分類してみて理解してから分析すればわかる。このアイデアが現代医学には欠けているのです。
<この原始感覚という言葉は、橋本先生の造語だと思いますが、この言葉の意味することは、非常に重要。
真理は、非常にシンプル。あまりにも真理を言い当てておられるので、“本当?”と疑いをかける方がおられるかもしれませんが、臨床を通すとその意味する真理に出会います。
“気持ちよさがあるのか、ないのかよく聞きわけて(原始感覚)あれば、味合う(治療)”です!>

きょうは、ここまで、それでは、ごきげんよう!

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