2010/09/10

からだの設計にミスはない 写本(柏樹社p51〜52)

      叱るより誉める

教育でもね、子供を叱ってはダメだ。もちろん悪いことは悪いんだから、そこのところはちゃんとおさえておいて、そこをガンガン叱るじゃなくて、その子の全体を見ていてね、何でもいいから少しでも良いことがあたらそれを誉めてやる。

そうすると、今まで悪かった所がパアーととれてくる。
我々みたいに年くっても誉められれば気持ちいいし、悪い気はしないが、子供は特にそうみたいですね。
とにかく認められたいという本能は我々以上に強い。

「お前なあ、これさえうまくやれば、何でもうまくやれる奴なんだけどなあ」
などとポンと一つやっとけば、パッととれる時がある。

それをね、悪い所ばかり見つけてガミガミ言われたら、それでも治ることもあろうが、時間はかかるし、お互いに面白くも楽しくもない。
痛い腕を無理やり痛い方へ曲げて、お互いがウンウン苦しんで汗流して、それでも治ればいいが、下手すると永久に元に戻らなくなる、そんな治療と同じだって気がする。

子供が悪いことを知らないでやっているんなら、やっぱりそこは指摘して、それが本人の将来に、本人のからだにどう良くないのか教えてやらねばなるまいが、それを無理やりにね、上から押し込むんじゃなしに、悪いということは、チャンと何らかの形で子供自身の上に現れているんだから、まずそれに気づかせてやる。
それだけでもう半分は治ったも同然で、あとはそこをガミガミと注意し叱るんじゃなしに、子供がそこから逃げれるように、悪い方から良い方へ、気持ち悪い方から気持ち良い方へと気持ちが向くように手助けしてやることだ。

うまいもん食いたかったら、女房の料理を誉めればよい。
うまかった時はどんどん誉める。
「いやー、今日のはうまいなあー、特別にうまいなあー」ってね。するとね、やっぱり女房だって悪い気しないから、この次にも何んとかうまいものを食わせてあげよう、と思ってね、いつもとはいかんでも、少なくともそういう努力を惜しまなくなるだろう。

そりゃそうですよね。誰だって自分の欠点を言われて気持ちの良いものはいない。
自分がその欠点に気づいていればいるほど、他人からそれを指摘され、どなられるとシャクにさわる。
かえって気が滅入ってきて、それを治そうという気分がそれるばかりか、相手が憎らしくなる。

欠点は欠点で、それをお互いに知っていることは必要だけれども、そこにとどまっていたんじゃ、世の中楽しくも明るくもない。
だから、何か良い所見つけなくっちゃ。人のアラ探しするよりも、何か良いところを見つけた方が、見つけた当人も気持ちがいいし、された方も気持ちがいいですよね。
要するに“気持ちがいい”ってことさ。

<身につまされる節です。個人的に・・・私は10年前に女房と分かれました。料理が美味しかったって、言ったことが無かったように思います。あえて、女房の方から「どういたしまして」と言ってくるぐらいでした。そして「あ、あ〜美味しかった」何というダンナだったのでしょう。
女房は一番近い他人であったことを、いつの間にか、忘れていった・・・・本当にダメなダンナだったのです。

女房にこそ、やさしいやさしい言葉がけが必要であることを、今、痛切に感じています。
私の言葉がけが足りなかったばっかりに、可愛い子供3人には、辛い思いをさせてしまったのです。
本当に申し訳ありませんでした。>


今日は、ここまで、では ごきげんよう!

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